An Artless Riverside 川虫館
水辺の環境図鑑(後編:平地流・特殊環境・人工環境・止水域)
川虫のすみかである、国内でみられる主要な水辺の画像を紹介します。それぞれの環境区分の定義に関しては「その他」より「用語集」のページをご参照ください。
【 平地流 】
自然度の高い平地流(宮城県・山ぎわの平地/8月) 平地の川は集水域に多くの人が暮らすため、程度の差はあれど汚濁や環境改変(護岸)から逃れられない運命にあります。それでも水圏の生態系が良好な状態であれば十分な調整サービス(生態系サービスのひとつ)が期待でき、複雑な食物連鎖の中で多少の汚れ(有機汚濁)は浄化されていきます。画像は希少なトンボやカゲロウが多い美しい平地流です。上流部に広がる健康な樹林の賜です。平地渓流が平地流となって間もない部分であり、河床にはまだ砂礫が目立ちます。
大河の平地流(宮城県・平地/9月) 河床勾配によって川の環境を分類する以上、水量が多かろうが少なかろうが平地流は平地流です。しかし、漠然と平地流と聞いて思い浮かぶのは川幅の広い大河であり、画像のような川はザ・平地流という貫禄があります。鬱蒼と茂る河畔林や深い水深といった環境要因は観察者を寄せ付けず、こういった環境に棲む水生生物は人の目に触れる機会があまり多くありませんが、平地流には平地流の川虫たちが暮らしています(ただし種の多様性は渓流域と比べると劣るのが一般的です)。一部、止水域の水生生物が進出している点も平地流の生物群集の特徴です。 代表的な川虫(ゆるやかで大きな流れに多い川虫):トウヨウモンカゲロウ(モンカゲロウ科)・ムネカクトビケラ科など
護岸・浚渫・河道掘削がなされた平地流(宮城県・平地/6月) 平地流は人々が暮らす街や田畑などと距離が近いので、洪水が起こると大きな被害を与えるリスクがあり、防災のために人の手が大きく入ります。護岸は水流によって川岸が侵食されたり増水時に自然堤防が決壊したりするのを防ぐ役割があり、浚渫や河道掘削は川の流積(川の断面図における、水が流れる範囲の面積)を増やして流量のキャパシティを確保し川が氾濫しにくくする効果があります。どちらも人の暮らしを守るためには有用なものですが、やり方次第では生物の生息地を徹底的に痛めつけてしまうため、生物多様性に配慮した手法の普及が必要です。
蛇行する平地流(宮城県・平地/1月) 現代日本には人工的に直線化された川が多いですが、本来、水が平坦な場所を流れるとき必ず起きる現象が蛇行です。川はなめらかに弧を描き、氾濫のたびに流路を変える姿はそれ自体が生き物のようです。平地流のゆるやかな流れは川の水がこれまで運んできた砂や泥を川底に堆積させる作用があり、平地流には川底の砂や泥にもぐりこむタイプの水生生物が多くいます。
山間の平地流(愛知県・山間部/5月) 平地流は平野とセット…ではなく、大きな川が山と山の間を悠然と流れている景観も全国各地には多数点在します。地形学的にはこのような地形の川を「先行河川」、谷を「先行谷」といいます。もともと大きな川が流れていた平らな場所の地盤が徐々に隆起することで長い年月を経て作られる地形です。川の流れが岩盤を侵食する速度が地面が隆起する速度よりも十分に大きいために生み出される環境です。先行谷を流れる川は岸から一気に深くなり、川虫の多様性も低いので川虫屋の身としてはあまり魅力的なフィールドではないのですが、山と水が織りなす絶景がみられることがあり、絶景スポットの観光地になることも多いです。 代表的な川虫:フタバコカゲロウ(コカゲロウ科)・オビカゲロウ属(ヒラタカゲロウ科)・イワヒラタカゲロウ(ヒラタカゲロウ科)・ノギカワゲラ属(ヒロムネカワゲラ科)・クロツツトビケラ(クロツツトビケラ科)など
同地、大雨の後に増水する川(宮城県・平地/9月) 川の氾濫が起こらなくなるのは人間にとっては良いことですが、環境破壊ともとれる過度な河川改修を続けると、生態系がこれまで作り上げてきた多くのはたらきが失われてしまいます。結果、水産資源の枯渇や地域に根ざした農業・水産業文化の衰退・これまでは生じなかった特定の生物の異常な大量発生などの悪影響が生じ、長期的にみるとかえって人間社会の首を絞 めることにもつながります。人と自然とが共存できる社会の実現は、自然愛好家だけがが考えなければならない問題ではなく、社会全体の未来を左右する難しい課題です。
【 特殊環境 】
湧水から続く水路(山形県/4月) 画像は雪解け水由来の地下水が扇状地の下端で湧き出す水路です。湧水は水質が良いだけでなく年間を通して温度変化がきわめて少ないのが特徴で、湧水が流れる水路にはバイカモやセキショウモなどが繁茂した特徴的な沈水植物群落が成立することが多いです。巣材や餌を水草に依存するエグリトビケラ亜科のいくつかのトビケラはこういった環境で特異的・高密度で生息します。川虫ではありませんが、地下水生のヨコエビやイバラトミヨ・ホトケドジョウなどの珍しい生物がいることがあります。
渓流横のたまり(山形県/5月) 川の一部が切り離されて止水的になった環境をたまり、切り離されるまではいかずとも、流路から飛び出していて流水の影響が小さくなっている環境をワンドと呼びます。流れがなく止水的な環境ですが、川の本体とは密接な関係性にあって、生物たちに特殊な利用のされ方をするため特殊環境としました。川が増水すると川の一部になるので流水性の川虫が迷い込んでいることは日常茶飯事なほか、フタオカゲロウ科やトゲトビイロカゲロウ属(トビイロカゲロウ科)・一部のユスリカなどはこういった環境が大好きです。
完全に干上がった渓流(山形県・低山地/9月) 雪解け時期と大雨の後にだけ流れが出現する沢です。降水量の季節変化が極端な地域でみられることがあります。不安定な水場のため水生生物は多くありませんが、競合相手や捕食者がいないことを逆手に取った少数の川虫は、乾燥への耐性を獲得して休眠をしたり水中で暮らす時期を極端に短くしたりする方法でこういった環境に適応していることがあります。礫が豊富で河床間隙のある環境(いわゆるガレ沢)は、ガロアムシや地下性のゴミムシなどのユニークな昆虫も利用します。
斜面湿地(岐阜県/5月) 土砂が堆積してできた勾配のある地面に湧水が染み出して形成されます。地学的な条件が強くはたらくため地域によってできやすさに違いがあり、国内では東海地方に多い環境です。環境として一般的でないため斜面湿地を専門にして暮らす水生生物はごく例外的(ヒメタイコウチなど)ですが、クサカワゲラ亜科(アミメカワゲラ科)やオナシカワゲラ科・コエグリトビケラ科の一部がみられることがあります。豪雪地域では丘陵地の谷底に似たような環境が成立することがありますが、豪雪地域の斜面湿地(流水湿地)は雪の塊が谷底を面的に侵食することで形成されるため成因が異なります。豪雪地域の斜面湿地はミズバショウ群落が高確率で成立し、水生生物相は細流環境に準じます。
【 人工環境(流水域)】
人工の用・排水路(新潟県/12月) 農業が高度に発展した戦後の頃から、各地の大規模な水田地帯ではこのような太い用水路・排水路が整備されました。もともとあった平地流環境の小河川を転用したもののほか、完全に人為的に地面に溝を掘って水路を設けた場所も少なくありません。自然度が低く、川虫はほぼ期待できません。
素掘りの水路(秋田県/8月) 人工的な流れにはあまりいいイメージがない一方、地方の農村部には素掘りの水路が残っていることがあります。画像のような自然の水辺に劣らない美しい水路を見つけると感動します。生態系の中で「里山」の概念が重要視されるようになってからは、しばしばこのような景観を文化的な遺産として保存する動きも散見されます。
湛水域(山形県/9月) 流水がせき止められるとせき止め箇所の上流部分に水がよどむ部分が生まれ、その中でも人工的なせき止め構造物(ダムや堰堤など)に伴うものを湛水域と呼びます。川の途中でありながらも止水性の水生生物に生息の場を提供するとともに、土砂や生物(特に魚)の移動を制限するため上流・下流双方に向かってさまざまな影響を与えます。
【 止水域 】
寒冷地の池(北海道・高山/7月) 本HPは川がメインであり管理人も川が好きなため細かく紹介することはしませんが、池・沼といった止水域も水生昆虫の生息の場として非常に重要です。流速という要素がひとつ欠けるぶん流水域よりも環境としての多様性が下がるようにも思えますが、地球上には気候や成因によって実にさまざまなタイプの止水域があり、自然度の高いものはどれも魅力的です。画像は北海道の高山の池です。 代表的なもの(寒冷地の止水域でみられるもの):オナシカワゲラ属の一部・トビケラ科・エグリトビケラ科の一部など
熱帯の池(タイ・チェンマイ・盆地/7月) 止水域は植物の競争が激しく、水生植物・水ぎわの陸上植物・樹木などが限られた水辺の面積を奪い合うように生育しようとします。特に暖かい地域でその傾向が顕著です。水辺の昆虫・動物も必然的にそれを利用して暮らすものが多くおり、物理環境と川虫との相互作用が見どころの流水域とは対照的に、植生豊かな止水域は複雑な生物間相互作用が繰り広げられる場です。 代表的なも の(植物への依存度が高い止水性のもの):ハゴイタヒメトビケラ属・オトヒメトビケラ属(ともにヒメトビケラ科)など
農業用ため池(栃木県・山間部/10月) 多様な生物が暮らす止水域の中で日本人が最も身近なものは農業用ため池です。田畑に用いる水を確保するためのいわば人工設備ですが、水草が侵入して止水域としての自然度が上昇すると水生昆虫にとって良好な棲み処となります。ただし、人里が近いぶん外来種などの問題が最も深刻化している環境でもあります。
大きな湖(秋田県/8月) あるレベルよりも大きな湖やダムは水面を吹く風によって恒常的な波が起き、岸が波打ち際の環境を形成します(波砕湖岸、砕波帯)。波は水をかき混ぜて水中に酸素を運ぶため、大規模な止水域の水中環境は止水域でありながらも流水域の特性をもちます。大きな湖の岸では流水性の川虫が生息する事例が多いほか、少数派ではありますが、琵琶湖などの大湖でしかみられない川虫というものも複数知られています。
放棄水田の湿地(山形県・山間部/5月) 湖沼学・地形学的に、いわゆる湿地と言われる浅い水辺は水面(地下水面)の高さと湿地を被覆する植生の基準面との関係によって「高層湿原」「中間湿原」「低層湿原」の3つに分けられます。それぞれ湿地で優先する植生に特徴があるので、高層湿原と低層湿原はそれぞれ「ミズゴケ湿原」「ヨシ湿原」とも呼ばれます。川虫と呼ばれるカゲロウ・カワゲラ・トビケラは湿地を利用するものがあまり多くありませんが、トンボや水生甲虫などは湿地を特異的に好むものがたくさんいます。画 像は山奥の水田が放棄されてできた湿地です。放棄水田は遷移の進行が速く数年でただの草むらになってしまうのが普通ですが、画像の場所は豪雪地で植物の分解が遅いため、泥の層が厚く発達して自然度の高い中間湿原の様相を呈しています。
公園の池(新潟県/10月) 公園の池・学校のプール・防火水槽・城跡のお堀などの人工的な環境は一般には自然度が低いですが、周辺の地域の自然度や水域の環境次第では生態学的に侮れない水場になっていることがあります。近年はビオト ープの概念が自然好きの外にも広く知られるようになってきており、個人レベルから企業レベルまで様々な規模のビオトープが作られています。川虫たちの明るい未来のために、止水域ビオトープだけでなく流水型のビオトープも徐々に流行ってほしいものです。